ぽんのスッポンポンBLOG

日々の体感や疑問

島の音

〝マンハッタンの地下深くには、厚い巨大な一枚岩盤が広がっている。

高層建築の基礎杭はこの岩盤にまで達している。

マンハッタンで絶え間なく発せられる音は、まっすぐ垂直に下降していき、
この巨大な鉄琴を細かく震わせる。

・・・・整流された音は、今度は岩盤から上に向かって反射され、
マンハッタンの地上全体に斉一的に放散される。

この反射音は、耳鳴り音のようにも、低い気流のうなりにも、あるいは幻聴のようにも聴こえる。

そして音の中にある振動がひとびとの身体の中に入り、血液の流れとシンクロし、入っては引きを繰り返す。

この振動こそが、ニューヨークに来たひとびとをひとしく高揚させる。

なぜなら、この振動の音源は、ここに集う互いに見知らぬ人々の、どこかしら共通した心音が束一されたものだから。

こんな振動を放散している街は、アメリカ中、ニューヨーク以外には存在しない。

おそらく世界のどこにも。〝

 

ー「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著・講談社現代新書

 

たしかルーリードが「マンハッタンが発する音が血肉となり俺のビートを形成した」みたいなことを言ってた。

ジョンレノンがニューヨークに住み着いたのもマンハッタンの音が好きだったからかもしれん。

 

一度ニューヨークに行ってその音を聴きたい。

耳だけでなく。

内臓で骨で皮膚で血で細胞でその音を聴きたい。

 

まずは今いる日本の音を全身全霊聴いてみよう。

弱さとやさしさ

http://mainichi.jp/articles/20160626/ddm/015/070/029000c

杉田さんの長渕論は「現代日本のナショナリズム」を考察する際に極めて重要な視座を与えてくれます。『長渕剛論』を読みながら、ずっと安倍晋三という人のことを考えていました。共通するポイントは「弱さ」と「やさしさ」。 @nakajima1975

安倍首相は6月19日、吉祥寺駅前の党街頭演説会で帰れコールを浴びたとき「私は子供の時、おかあさんからあまり他人の悪口を言ってはいけない。こう言われました」と言ったと報道されました。私は安倍首相が「おかあさん」という語を使ったことがずっと気になっています@nakajima1975

安倍晋三という人の中にある「弱さ」と「やさしさ」が、反転して「攻撃性」となっていること。そこに彼が希求する「愛国」の本質があること。杉田さんの議論に刺激を受けながら、安倍晋三論を構想しています。 @nakajima1975

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「弱さ」と「やさしさ」

マッチョな世界は苦手でごんす
俺は攻撃性に蓋をして
自分の中に閉じこもりました

攻撃しないことが愛と思ったから
本音は隠してやさしい仮面

人を傷つけたくないのは
ほんとは自分が傷つくのが怖かったのです

蓋を開ければ憎悪や攻撃性がグツグツ煮えていた
心はそれを感じないように麻痺させて
そしたら喜びも消えた

もう一度心を感じたくて ドロドロのげろげろを昇華させたくて 歌う 踊る

あわよくば聴いてほしい俺の歌
聴いてほしいのにぶっ刺して引き裂いてしまうのは
群れの安心に自分の真実を売ってしまう人々を憎んでいたから
自分のなかの羊をゆるせなかった

攻撃的な人が大嫌いなのも
攻撃的な自分を自分がゆるせないから

攻撃性のフタを開けたら戦争だ
それは嫌だ
だけど心のなかは既に戦中

どうすればいい?

自分の本質を生きることができればいい

みんなみんな

今回の参議院選
三宅洋平に惹かれた一番の理由はそこです
自分の真実を生きること
対立すること怖れず 対話をこころみる
相手をよく見て 取りやすいように
本音を胸に向かって投げかけること


祭と戦争は正反対のベクトルだけど
どちらも無意識のところで求めている非日常性、熱が、顕在化されたものじゃないか???
踊りたいのに見てる阿呆の抑圧された熱が空焚き爆発 反転して戦争を引き寄せてるんじゃないか???

男のなかの女性性は牢屋のなか
コンプレックスやトラウマ
それが個性になってるのかもしれないけど
いいかげん本質に戻る

 

素直に自分の真実を
ださくてもいいさ
レッツゴー踊る阿呆!!!!!

今日もあいつJAZZってるなぁ


発言したあとに
発言を取り下げたくなる
まったく違う自分に気づいたから

一度発言したら
その言葉は私のレコードに未来永劫刻まれたまま
そう思うと慎重になりすぎて
何も言えない

発言撤回
新しい発言
なんて繰り返してたら
筋の通らぬホラ吹き野郎と信頼を失ってしまう
恐怖

だけど 1秒1秒生まれ変わってるのに
どうして同じでいられるか
俺は海だぜ ゆらぎだぜ
潜ればひろがる 青い静寂
だから今日も思いっきりホラを吹け!


ブオオオオオオオオオオオオオ

突き抜けろ

ご先祖さまたちが繋いできた

バトンを持って

一族の最先端をつっぱしる

わたしに

飛び交う声援の嵐

 

バトン投げ捨て

コーナー曲がらず

そのままレースを脱けだして

踊りに行ってもいいんだぜ

夏至タルトのいのり

 

 

 

どんな感情もあっていい


観念を浄化したわたしは


取捨選択できる


自由に

 

自在に

 


全身全霊


遊んで

 

歌って

 

踊って

 

恋をして

 

生きる 

 


身体とともに

 

本音とともに

 


本質のまま 咲いて散る


この宇宙の花になる

ひとりごとのように



6/1
大野一雄の命日
東中野ポレポレにて
「ひとりごとのように」を観た

言葉にできないとき
言葉にしなくていい

言葉にできないこと
踊ればいい

今日のことを記しておきたい
また甦れたこと

死んだらまたおもいだしてほしい
この肚のなか熱を


大野慶人さんの鋭くてやさしい眼差し
どんな世界をみつめているんだろう

いつも想っていた

今日買ったパンフレットのなかに

「一雄がよく言うのは、目が足の裏まで降りていかなきゃいけないんだと。
それくらい目は力を持っているという。
向こうの方向を見ているんだけども、その目は肉体を通って足の裏にギュっと、目が来てるんです。
そうするとこの目は強くなります。」
と、書いてあった

世界をみつめながら
自分の内側を見つめていたんだ


涙とともに心が洗われました
生きていける
どうもありがとうございます



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宝物です